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東京国立博物館の「法然と極楽浄土」特別展と増上寺に行った日の記事です
今年は浄土宗開宗850年とのことで、全国の浄土宗諸寺院等が所蔵する国宝、重要文化財、名宝などが集められ展示されています
この特別展示では、京都、知恩院所蔵の国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図(らいごうず)」の修復後初の公開がされ見どころとなっています。
そして実は、10年ほど前に香川県高松市の法然寺、三仏堂で「釈迦の涅槃像」を拝覧したことがあります。涅槃というのはお釈迦様が亡くなることで、まさにその時の様子が立体の像で表現されているのです。お弟子さんや鳥、動物たちが周りを囲み嘆き悲しんでいる様子が表現されていて、とても珍しいものだと思います。その涅槃像群が今回の東京国立博物館の展示に含まれていました。
興味深い展示でしたので忘れないためにも記事にしておこうと思います。
大きな屋外看板
丸くデザインされた中の絵が「阿弥陀二十五菩薩来迎図(らいごうず)」
観音菩薩・勢至菩薩と阿弥陀如来と諸菩薩が、念仏行者のもとに急いで来迎する様子が描かれている絵です。
パンフレットとチケットとワッペン ^^
東京国立博物館(通称:トーハク)
法然上人と言えば、
いつもブログで「法然上人とゆかりの人々」をシリーズで紹介してくださっているぐんちゃんさん (id:gunjima-taii)が頭に浮かびます。
私もこちらのブログを通じて法然上人のことを少しずつ知るようになりました。
本記事を書くにあたって再度読み返してみました。↓↓↓関連記事
法然上人について
(今回訪ねた東京国立博物館で知ったことやweb検索して知ったこと、ぐんちゃんさんの記事で知ったことなど合わせて書いています。間違っている事があれば教えてください)
戦乱が多かった平安時代後期。長承2年(1133)現在の岡山県久米郡久米南町に誕生。父親の漆間時国は豪族で、謀反人や犯罪者をとらえることを任務とする押領使。
幼いころは勢至丸と呼ばれ、漆間家の後継ぎとして育てられていましたが、父親が夜打ちに合い臨終に残した遺言を大切に守られたそうです。
父親の遺言は「復讐の気持ちを捨てよ」というものでした。
父親の死を機に9歳の時より菩提寺で仏教を学び、その後比叡山延暦寺へ。師匠、皇円のもとでもその類い稀なる才覚を認められ正式に出家し、天台宗の僧侶となりました。
18歳のときに皇円のもとを辞し、西塔黒谷の慈眼房叡空上人を訪ねて弟子となりました。叡空上人は「少年の身で早くも菩提心(悟りを求める心)を起こした。まことにこれは法爾自然の僧である」とほめたたえ、勢至丸に「法然房源空」という法名を与えました。「法爾」「自然」とは「あるがままの真理」という意味で、それからは「法然上人」と呼ばれることになりました。
私は仏教の話は詳しくないのですが、法然上人は平安時代末期から鎌倉時代初期の誰もが生きづらい戦乱の時代に、
゛「南無阿弥陀仏」を称えれば誰もがひとりのこらず救われる ” と説いた名僧です。
特別展は撮影禁止でしたのでこちらでご覧下さい。
見事な展示品が2分38秒にまとめられています。香川の涅槃像も最後に出てきます。
常設展も拝見しましたが、こちらは外国の方がとても多く、特に刀の展示を熱心にご覧になっていたようです。夫も刀のコーナーが興味深かったと言っていました。
少しだけ写真を載せておきます。
太刀 伯耆安綱(ほうきやすつな)
化粧をする時の湯水入れと梅月蒔絵手箱
吉野山蒔絵小箪笥
色絵桜樹図透鉢
金銅蓮華文華鬘・・仏堂の中にかけて飾るもので、もとは生花を糸で綴っていた
建物の内装も素晴らしい。
6つの建物やお庭も素敵で一度で見切れません。
次回来訪時には建物や庭も見てみたいと思います。
東京国立博物館 平成館 特別展示室
2024年4月16日(火) ~ 2024年6月9日(日)
大人:2100円、大学生:1300円、高校生:900円
※上野駅からの途中にチケット売り場がありますが、現金のみの取り扱いです。
東京のど真ん中は案外現金のみという所が多いので注意が必要です。
京都国立博物館(10/8~12/1)、九州国立博物館(2025/10/7~11/30)へ巡回展
上野エキュートの「騒豆花(サオドファ)」という台湾料理のお店でランチ
ご馳走さまでした<(_ _)>
東京タワーの隣にあります。
周りは芝公園
日比谷通りに面した三解脱門(逆光で🙇)
二層の屋根で入母屋作り本瓦葺き、朱色に塗装されています
お参りさせていただきました
向かって左に元祖法然上人
向かって右に高祖善導大師
地震や火災などの災害に耐えられるよう様々な工夫がされてるようです
屋根は軽量化するためにチタンを使用しているのだそうです
旧国宝で鋳抜門(いぬきもん)といわれ、文昭院殿霊廟から移築されています
青銅製で両扉に五つの葵紋が有り、両脇に登り龍と下り龍が鋳抜かれています
千体子育て地蔵菩薩
鐘楼堂(しょうろうどう)
お堂自体は空襲で焼けてしまい再建されていますが、鐘は江戸時代のものです
参拝者は誰でも「除夜の鐘つき」ができるそうです
予約制で、12/1朝からの予約はすぐに完売するとか
たまたまですが、十数年前の4月初め桜の咲くころに盛大な儀式を拝見したことがあります。
きれいな衣装を着た僧侶がまるで歌うようにお念仏を唱え、美しい所作で儀式をされていました。もう一度見てみたいものです。
次は4月に行きたいです。
法然上人は七十五歳の時に浄土宗への弾圧から土佐~讃岐に流罪となりましたが、多くの人に生きることの大切さを説いて回ったそうです。その後、許されて京都の大谷に戻り80歳で入滅されました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回は真面目なお話になりましたが、興味深いものでした。
写真も溜まっているので、次は料理の記事を書きたいです(;^_^A
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